前回述べたように、観光を生かして豊かな地域づくりに取り組む活動、すなわち「観光地域づくり」が、初めて公に位置付けられたのは、5年ほど前に観光庁が観光圏整備に関する新たな基本方針を定めた時だ。その際、基本理念として「住んでよし訪れてよし」を掲げることにした。
「住んでよし訪れてよし」とは、「自らの地域を愛し、誇りをもって暮らしているならば自ずと誰しもが訪れたくなる」という意味だ。もともとは、2003年の「観光立国懇談会報告書」において観光立国の理念として掲げられた。
ご承知のように、報告書は、当時の小泉純一郎首相がわが国として初めて観光立国を宣言した時に、その基本的なあり方を検討するために設けられた懇談会によりまとめられたものだ。座長は、故木村尚三郎東京大学名誉教授だった。この欄の執筆者の石森秀三先生も参画していた。
「住んでよし訪れてよしの国づくり」というタイトルの報告書は、「観光立国の意義~今なぜ観光立国か~」から始まり、「観光立国実現への課題と戦略~日本ブランドの輝きを高めよう~」と具体的な方向性を明解にした。現代に通じる、実に格調高い内容だ。
03年当時、筆者はJR東日本仙台支社長として管内の観光地や温泉地を毎日のように駆け巡り、マスツーリズム後の衰退にあえいでいた現場を目の当たりにしていた。観光のあり方について悩んでいたちょうどその時に、報告書に接し、前途に光明を見いだした覚えがある。
そんな思いもあり、観光圏の新基本方針を議論する時、観光地域づくりの理念として「住んでよし訪れてよし」を提起し取り入れてもらった。観光庁の政策として、これまでの「観光地づくり」に対する反省を踏まえ、観光立国の原点に戻るべきだと考えたからだ。
翻って、インバウンド観光客の増大を背景にした最近の観光立国に関するビジョンや政策、日本版DMOに関する議論を聞いていると「住んでよし訪れてよし」の理念が置き去られているという懸念がぬぐえない。観光客のニーズを中心とした観光振興(訪れてよし)の議論ばかりで、住民主体の地域づくり(住んでよし)の議論が欠けている。
当時の新聞記事を手繰ると、観光立国の理念に関し、多くの識者が盛んに論じている。木村先生は「旅人は今、生活者である」と喝破し、作詞家の阿久悠さんは、「観光を観光で考えては、観光の答えは出ない」と、哲学なき観光立国構想を早くから憂いていた。
筆者としては、これらの意見を常に反すうしながら、「住んでよし訪れてよし」の旗をしっかりと掲げて、各地の観光地域づくりのお手伝いをしていきたいと思う。
(大正大学地域構想研究所教授)